いじめ


「お前むかつくんだよ」
「なんでお前みたいなやつが生きてるんだよ」

このような言葉を、いったい今まで何度言われたことだろう
あの頃の私にとっての学校とは、文字通りの地獄だった

いじめられる側にとって辛いのは、物理的な攻撃よりも心理的な攻撃ではないだろうか
無視され、自分の存在を否定されること
悪口、陰口は一言一言が心に刺さる

ナンデコンナコトヲスルノ?
ワタシガイッタイナニヲシタノ?
ドウスレバナカヨクナレルノ?

ずっと思っていた
ずっと悩んでいた
常に誰かに助けを求めていた

先生に相談して、その子達と話をした時の衝撃は今でも忘れられない

「だってこいつむかつくじゃん」
「こいつが俺のこと無視するからお返しだよ」
「こいつは人とは違うんだ」

確かに私は人とは違う
障害と言える程度かは知らないが、難聴者である
そのため、人とのコミュニケーションがとりづらい
声が聞こえなくて、結果的に無視したことも一度や二度ではないだろう
そのため、自己紹介をする時には必ずその点を考慮してくれるように頼むようにしている
私の声は彼らに届かなかったのだろうか?
人の声を聞けていない人が、このような偉そうなことを言えるのだろうか?

ありきたりだけど、彼らにあらためて問いたい

「あなたたちはいったい私の何を知ってるの?」
「あなたたちは人の評価ができるくらいすばらしい人間なの?」

今振りかえっても、あまりいい気はしない
この経験は、私の性格に多大な影響を与えている
少なくとも、真っ直ぐには育つことができなかった
心の木が、育つ途中で折られ、曲げられて成長していった

まだ自己を感じることの少ないはずの小学生
私はいじめにあうことで自己を認識した
遺書に近いものを書いたこともある
小学四年生がなぜこのようなものを書かなくてはいけないのか?
少なくとも私の小学生時代は、無邪気な成長とは程遠かった

そして中学、高校と年をとるにつれ
私は自衛のために性格を変化させていった
友人と呼べる人間をつくらず、知り合いレベルで付き合っていく
こうすれば、人間関係を深くしないで済む
自分が傷つかないですむ
傷つきそうなら関係を切ればいい
なんて悲しい成長だろう

人は人、私は私
あなたのやることには文句を言うつもりはない
だから私に関わるな
友達なんていらない、私は独りで生きていく

完全に心を閉ざし、他人への関心を失った人間
いつからこんな人間になってしまったのだろう・・・・

今でもまだその後遺症は残っている
人間というものを信用できなくなっている
お互いに信頼しあえる人たちがとてもうらやましい

私の心の木は、まだ真っ直ぐに育ちたがっている
まだ成長できると信じている
この経験がいつかプラスに働くと信じていたい・・・

トップに戻る 蔵書のトップに戻る

リードミー

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送